平準化と個別最適化

私はいつも自分が2人いると思う。

一人は「今この枠の中でなんとかしなくちゃならない私」で、もう一人は「そもそも最初からやり直したい私」かな。


学校を支援しているのに、もしかしたら学校という括りがなければいいのか?と思う時がある。

なぜなら、各自治体のいくつかの学校には数名、導入されたICTをほぼすべて知っていて、使っている先生がいるのに、その学校全体には広がらないでいる。

何かが足りない。それは台数じゃないと思う。たくさんあっても誰も使わず埃をかぶってる学校もあるから。


一つ前のブログを受けて、20年くらい前、職員室にずっといて、私に用事を頼む先生は意外と偏ってはいなかった。みんな何かしらPCというかデジタルを使っていたように思う。苦手というより面倒な手間のかかるものを私がやっていた。

そのころ先生はわりと個人持ちのPCを持ち込んで仕事をされていた。

男女の差や年齢の差はそこまで感じなかった。いや、むしろお金に余裕があるからなのか年配の先生の方が男女関係なくパソコンは持ち込んでいた。


学校単位で決まったものが入ってくるようになって、かえって使う人が減ったような気がするのは自分の思い違いだろうか。

配布されたパソコンを閉じたまま紙で仕事をするのに机の上でパソコンは邪魔ものだ。

自分自身もその流れに乗って、それをなんとかしなくてはと、これまでずーーっとやってきてしまった。


個人情報保護がある時厳しく言われるようになり、情報漏洩が話題になって、校務PCも持ち出せなくなり、データも持ち帰れなくなって、家で作った教材を学校に持って来られなくて、いつしか家にはパソコンは要らなくなった人さえいる。


トラブルのたびにシステムで縛ることばかりで、面白くもない、使いづらい、ITはめんどくさいものになっていった。

ICTって言ってるのに、一番人間らしい「C」から遠ざけ続けて、退化が著しくなったこのタイミングで、突然のGIGA。


私の学校ICTのイメージは20年変わらなかったんじゃなく、20年で周りから怒られないものが繁栄して、本当にクリエイティブで楽しいものは退化したのだ。

雑だけどこんな感じ。

緑は実物投影機やプロジェクター。

使い方がそんなにあれこれできないし、データも本当はいじれるけど、そこまで使わないから危なくなさそうに見えるので活用はずーっと伸びてきている。

一般家庭より進んでいるIT機器だ。

それに対してPCを使うことは、20年前だんだんワープロから遷移してきたのに、個人情報云々でまず使いにくくなり、次にウイルスだの残酷な画像だのでフィルタリングや指導が厳しくなり、プログラミングで、みんなそっちに流れ、GIGAだ!と盛り上がった?もののコロナで一気に新たなオンラインというものが優先され、そんなものはないので、あっちにフラフラこっちにふらふら…トータルでは悪くなっているようにすら感じる。

絵が雑です…後で差し替えます。


システム化しようとしたからダメになったなら、個人の好きにすればいいのか?しかし、任せておいたら使わない人と使う人でクラスや学校に差が出る。

理由もなく使わない文化で育てば、若い先生すら、その文化に染まってしまう。「使ってはいけないもの」というイメージが、ついてしまう。

ただ、困ったことに、支援していて、使ってる先生の授業が使っていない先生の授業に比べて優れているか?というと5年くらい前までは、まったく断言できなかった。


ただ、ここ最近は少し違う。

使うことで自分が楽をしようと考えられる先生は、多分うまくいっている。

生身の先生と子供たち一人一人の関わりはITとは関係ないところで、先生として培ってきた知識や経験によって判断されている。それは、その先生の精神状態にとても左右されると思う。


効率化は、決して子供たちに対する判断に使われるものではなく、先生が人間らしく、心の余裕を持って、多様性のある子供ひとりひとりを温かく見守れるよう、つまらぬ事務処理が、あっという間に終わるようなものでなくてはいけない。


先生に余裕があれば、子供たちは自分の端末で探究を深められる。多少のトラブルも先生がなんとか守ってあげられるようであってほしいが、今はそんな余裕ないだろう。


たとえそれが教具であったとしても、平準化することは、よほどのデザイン性がない限り、もしかすると逆に使えなくしてしまうことなのかもしれない。

数があればいいか?それも違う。やっぱり先生だって個別に好きなものを使えばいい気がする。一番その先生に負担がないものを。


しかし、休校中ある大学では、ある先生はzoom、ある先生はmeet、ばらばらのツールで遠隔をやり、学生がそれに合わせていたなんて話もある。学生は合わせられるのか。かと思えば別の大学では、やっぱり学生は合わせたくても環境が足りない(Wi-Fiがないからパケット代がかさんでしまう)から、遠隔はほぼなし。前者は大都会の自宅生。後者は下宿などしている地方大学。これは地域差もある。不足している地域にこそ、国のサポートがあってほしい。


先生たちが今個別最適化されて、好きな機器を使い、目標を達成すれば良いのではないのか。もう学校や学級の枠を超えて、以前も書いたけど、自分の好きな学校の好きな先生の授業を受けるのではだめだろうか。

ICTを潤沢に使わなくてもいいけれど、非効率なことで、こどもの学びが損なわれるなら、それは改善されるべきだし、逆にICTがこどもと対峙する生きた先生が存在する価値も損なうくらいなら、そこに先生は要らなくなるのだろう。


今この瞬間のお困りにコミットしたい自分と、そもそも論を考えてしまう自分で、毎日頭を悩ませている。



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【もう見えない悪者を作るのはやめよう「誰が」を明らかにすることを恐れるな】

導入機器の失敗?によって活用頻度が下がっているという、色々な記事にそろそろ辟易としているので、拙い経験かも知れませんが、私の視点からどうしてもここに書きたくなりました。 導入機器の問題は大きな組織自体ではなく、その時対応した個人の判断に痛いほど左右されます。 大きな塊を悪とした記事はその塊に人が見えないので、全く関係ない分野の人も攻撃しやすく気が楽です。それで記事を書けばみんな安心して攻撃コメント

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