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【もう見えない悪者を作るのはやめよう「誰が」を明らかにすることを恐れるな】

導入機器の失敗?によって活用頻度が下がっているという、色々な記事にそろそろ辟易としているので、拙い経験かも知れませんが、私の視点からどうしてもここに書きたくなりました。


導入機器の問題は大きな組織自体ではなく、その時対応した個人の判断に痛いほど左右されます。

大きな塊を悪とした記事はその塊に人が見えないので、全く関係ない分野の人も攻撃しやすく気が楽です。それで記事を書けばみんな安心して攻撃コメントを書きます。

だからその人の記事は売れます。


でもそれでは永遠に何も変えないで戦い続けられるので、もしも、あなたが本当になんとかしたいと思うなら、そろそろ個人個人が自分の言葉に責任を持ち、違うなと思ったら質問をすることを怠らず、日々の自分の学びを整えてほしい。または本当に信頼できるアドバイザーはどんな人なのかを自分の目で見て話を聞いて、肩書きや、誰かの推薦だからと、鵜呑みにせず判断してほしい。


個人の、悪気はない間違った判断をその人の立場と関係なく、「それ違ってます」と指摘しないからいつまでも変わらないのです。

ただ、私は先生方を支援する立場で間違いを指摘するなら、明確にできない物理的な理由をお伝えできるようにしたい。女性であることが大きなハードルになる世界で、さらに「もと支援員」というのも、現状残念ながら見下されるファクターになる、この立場で意見をするのには非常に険しい壁がまだまだあるので、信頼をいただくまでは「所詮支援員だろ」という見下される視線は間違いなくスタート時点で感じますから。


だから毎日何かを調べていないといけないし、毎日間違ったー!と思ったら、即謝罪して、なにくそとまた調べたり、ICTの世界はアップデートで不可能だったことが可能になるため、常に変わるという可能性をずっと疑い続けるのです。

間違った知識は、とても断片的なものであることが多いです。しかも個人の体験が全てなので、個人差が大きい。周りの情報をつなぎ合わせず、一つの情報と、裏付けもない自分の想像で作られています。


例えばすごく具体的な例を挙げるなら、そもそも有線と無線で太さや安定感も違うのに、その先にぶら下がったソフトのせいにして前の(有線で使っていたもの)が良かったのに、策略で安い使えないのを売付けられたに違いないと疑うなどがいい例です。開発している側は十分な環境下でテストをしています。もちろん不安定なネットワーク配下でもなるべく安定する工夫をしますが、不自然な手数が増えることもあります。ネットワークを優先しましょうとお伝えしても、見えないものだと外部(よく議会とか塊のせいにします)が納得しないとか言ってインフラ整備を怠ります。

しかし、現場はその理屈がわからないと、先っぽのソフトや機器が腐ってると判断します。当然使えませんから、大きなストレスになります。それなら当然「使わない」一択になるでしょう。堂々巡りです。


また、導入機器選定は、ヒアリングして欲しい人はしてもらえてないケースがあります。

まず今のようにクラウドが使えるようになっていれば、アンケートもとれたかもしれません。しかし委員会が一校一校まわるようなことは大きな自治体はなかなか出来ず、やるなら相当な手間がかかりました。ICTは苦手な人が多すぎると、結局声の大きな人の集まりで何かが決まっていきます。現場に足を運ぶなら、聞くのは個人の趣味ではなく、地域性を見るべきだろうと思いますが、地域による多様性を重視せず、異動してしまう個人の意見に右往左往します。


アンケートを取ったとしても、「よくわからないから…」と適当に書いたり、ICT興味がない、苦手な管理職だけにアンケートがいっていることは多々あります。

「ICTが使いたい現場」ではなく、「ICTに関係なく問題意識のある現場」には本当に必要なヒアリングはなされないことも多いでしょう。でもそれは委員会側もなにを聞くべきかがわからないままヒアリングしているからでもあると思います。


そもそもの仕様書も業者にある程度書いてもらっているところは多いでしょう。

でも業者は最初から騙そうとなどしていません。そんなわかりやすい悪者がいると勘違いしているのが滑稽です。

業者も仕事です。自分が取り扱える商品の中でなるべく利益の出る組み合わせを提案します。相手が丸投げに近いならなおさらです。労力を割くなら、対価が必要です。

生きているのですから。


仕方なく、5年前の仕様書の部分だけ直したとかも多いと思います。

導入のためだけに委員会になるのではないですし、そこまでに人が代わって、引き継ぎもありません。


政治的な裏工作と感じられるその手法は、ベンダー同士が案件の奪い合いをしている中で委員会への提案の中に含まれていきます。慣れた業者も、地元の議員さんとつながりの強い業者もいるでしょう。人間なのです。生きているから関わりを持つのです。そのため、良いベンダーが追いやられているケースもあるでしょうけれど、逆に怪しいところから守られるケースもあります。入札で、仕様が甘ければ、安かろう悪かろうどころか詐欺みたいな業者に落札されてしまう。だから仕様書に色んな工夫をするのです。そもそも入札っていうのがなんかなぁと思いつつ、そこが「公」と「民」のあいだの問題なのかな。みんな「民」ならこんなことはないのかな。ともやもやします。


業者の言いなりになると、高額落札されるかというと、案件取るためだけにかなり無茶な安さになっていることもあるから、これを心配します。人件費などが犠牲になりがちです。ものに夢中で「誰が」が抜けているものを非常に多く目にします。

GIGAの仕様もしかり。やるのは、ぼやーんとした「人っぽい塊」で、「誰」ではないのです。


「業者が悪い」と言いたいのは、それが子供たち(これも実体がない)のための美しい未来ための事業であるとしても、全ては商売である、お金が動く、ということに麻痺をしているからな気がしています。

ボランティアもクラウドファウンディングも、美しいと思うなら私は違うと思います。


委員会よりはるかに多くの人間がその事業のために、暑くても天気が悪くても、朝から晩まで現場に通い、事務所で設定を重ね、走り回ります。その人たちにも家族や生活があります。何もないところからお金は生まれません。誰かが支払うお金は誰かからいただかないといけません。


丁寧にお付き合いしている業者さんもたくさんいます。逆に委員会内に何かの信者的なファンや個人的趣味や個人の偏った知識にこだわりの強い方がいらっしゃると、おかしな仕様も変えられません。

業者はお客様の強い思い込みを覆すほど、その事業に責任を持てません。

導入しても相性やそもそもうまく繋がらないなどが出ます、とアドバイスをしても、その「大好きなもの」を最優先しようとされます。

入れてみて「やっぱり厳しい…」とわかっても、悪いのはこだわった自分ではなく、買ったんだからそれをなにがなんでも動かせと言われるケースも多いでしょう。

毎日CEさんや支援員さんたちに大きな皺寄せと、業者側が止むを得ず赤を切って対応することもおおいのです。誰もしあわせになりませんが、心を殺して作業します。

今更何億円ものやり直しを提案できないし、何百人の手を動かす人への賃金を私は保証できない。それでも必死で何度か提案したり訴えたこともありますが、全て残念な結果になって心を殺してきました。


結論本当にいつも被害者なのは「学校現場」で、決める側、入れる側の何が問題か?といえば、ドラマにあるような、安っぽい悪事なんかどこにもなくて、(これをみんな期待しすぎです、無いです。)ただただ、どちらも知識や経験、かんがえる時間が不足していることに尽きると思っています。


うろ覚えですが、先日政府の省庁の広報にプロのマーケティングアドバイザー?を入れる?ような記事をちらっと目にしましたが、それがまさにこの話に繋がります。

政治のプロがICTやマーケティングやSEOやデザインのプロも兼任できるわけない。

なのに、どんどん世界が進化するために生まれる新しいスキルをなんでそんな素人がやってるのか。

そのくらい日本は他人を信用できない国なのだ、もしくはそんなに貧しい国なのだと寂しい気持ちにすらなりました。


人が動くことは何かを消費すること。だから補う何かが必要です。

それは動けば食べなきゃいけないし、お金を使えば稼がなきゃならない。

それを謎の「美しさ」「清らかさ」だけで、無償を求めるばからしさ。求める側は多くが自分は別ルートで安定してるんです。これも、「誰が」を明確にせずに助けを求めるから、気付く人、できる人にしわ寄せがいきます。

今ビジネス界でも、手を動かしたこともない若者が「コーチング」とか「人をつなげる」とかそんなキーワードだけに食いついて、働かずにお金を人からもぎ取ろうとする人が増えてます。日本はそれだけ経済的にも精神的にも貧しいのです。


今一度、本当になんとかしたいなら、この一人一台は、先生方も子供も、余計な制限をかけずに、アカウントを個人に紐付け、個人の責任…名前のある持ち主のある責任を受け止めるために、誰かに間違いや迷惑行為があればそれを人格否定や陰口でなく、正しく面と向かって、どうするべきか提案して、指摘された側は過失であればすぐに自分で考えて、迷惑がかかった相手と話し合って訂正する、まともなフィードバックがされるような国になってほしい。


そして、他国だって決してそこまで良くなんかないということも理解して、外国万歳でなく、(これやっても何にも意味ない)自分たちのために、今どうするのか、ごまかなさいかんがえかたをしたいのです。


ぼやかした「誰かわからないけど人の塊」ではなく、明確な「誰か」を意識して生きていきたい。




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